桜の花が舞っていた。
 つつましやかに舞っていた。
 それはとても優しくて、
 それでいて悲しくて、
 どうしようもなく愛しくて。
 そして、目の前には一人の少女。
 かつて知っていたはずの少女。
 たぶん好きだったはずの少女。
 彼女は、僕に背中を向けたまま、じっと空を見上げていた。
 桜の花が舞っていた。
 消し去るように舞っていた。
 なぜだか不安になって、僕は思わず声をかけた。
 その声に、少女はゆっくりと振り向く。
 でも、
 その娘の瞳には、
 桜の花だけが映っていた……。
 薄紅色の世界。
 柔らかな白の世界。
 すべてを拭い去るように、ひときわ強く桜の花が舞い散った。
 世界が、桜の花びらで覆われた。


 白い世界。
 すべてを射るような白銀色の光。
 真っ先に目に飛び込んできたのはそれだった。
 すべてをかき消すような強い光。それがどこからか照りつける。
 思わず目を閉じた俺は、少し待ち、今度はゆっくりと目を開く。
 細めていた目に光が徐々になれていき、霞んでいた視界が形を取り始める。
 意識が覚醒し始めた。
 眼前に、色のある世界が広がる……。

 街を見下ろせる丘の上。
 濃い草のにおい。
 そよぐ風。
 目の前に広がった世界はそれだった。
 そして、俺は大地に身体を預けて寝ころんでいた。
「……あれ?」
 思わずつぶやく。
「ここ、どこ?」
 意識は混濁したままだった。
 体が妙にだるい。
 ぼんやりとしたまま、空を見上げる。
 そこには、俺の視線を遮るものがあった。
 目の前には、大きな桜の木。
 そいつは、たくましく色づいた壮葉を身にまとっている。
 見覚えがある木だった。
 確か、これは……。
 この木は……。
 ああ、そうか。
 俺は納得を意味する言葉を口から漏らす。
 思い出した。
 ここは、家からそれなりに離れた場所にある小高い丘の上。
 そして、目の前にあるこの木はそこに生える二本の桜の片割れだ。
 忘れるはずがない。
 ここは、子供の頃からよく訪れていたいつもの場所なのだから。
「……寝てたのか」
 誰に聞かせるともなくつぶやく。
 意識はすでに覚醒していた。
 俺は目の前にある桜の脇に視線をやる。
 記憶の通りの場所に、桜木の片割れが存在していた。
 争うように、遙かな空へと枝を伸ばす二本の桜。
 高く、遠く、彼方を臨んで雄々しく立つ二本の桜。
 枝越しに見上げる空は、果てしなく青く、そして澄み切っていた。
 木漏れ日として認識できた太陽は、すでに中天を過ぎていた。
 俺は、枝葉越しに見えるそれを地面に転がったままぼんやりと眺めていた。
 枝が風に揺られてかさこそと音を立てた。
 おっくうに感じながらも、俺はゆっくりと体を起こした。
 尻ポケットから携帯をとりだし、液晶画面に記された時刻を確認する。
 もうじき二時。正午を十二分にすぎていた。
 もう一度空を見上げた。
 九月の太陽は、相変わらず燦々と陽光を大地へと降り注いる。
 木陰とはいえ、じっとりと汗が浮かんでくる。
 外はまだまだ暑かった。
 どっかで涼んでいくか、と思った。
 せっかくの日曜だ、このまま無為に過ごすのも悪くない。
 二学期は先週から始まっている。
 補講でまともな連休にならなかったとはいえ、二日に一度は休みだった夏休みと違って、今はきっちり週六で授業がある。
 だから、たるんでいた体に疲れが貯まっていたのだろう。
 こんなところで寝こけるのも仕方がないと思った。
 地面に体を投げ出していたせいか、体中がひどくぎしぎししていたが、俺はあえて気にしなかった。
 桜木の枝葉が揺れた。
 丘に吹く風が気持ちよかった。
 ゆっくり立ち上がる。
 どこに行って時間をつぶそうか。
 「なが沢」にでも行ってみようか。
 それはいい思いつきにみえた。
 希望のバイト先へ彼女をからかいに行くのはいい暇つぶしになるだろう。
 俺は大地に寝ころんだことで付いた名残土を払い、体を伸ばした。
 関節のあちこちが悲鳴を上げる。
 それでも強引に体を動かし、体をほぐす。
 そうして、最後に思い切り背伸びをした。
 日差しを遮ってくれていた桜の木が揺れた。

 花は散っている。
 夏が、過ぎようとしていた。



 それは舞い散る桜のように
 アナザー・ストーリーin星崎希望

 恋は舞い散る桜のように

                        水上隆蘆
 ……2002年度夏コミ用原稿の出だしです。まあ、お試し番、みたいなものです。本編の公開は夏コミ後に……。

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