第一章 【それは、太陽が燦々と照りつける真夏のとある日のことだった。】
それは、太陽が燦々と照りつける真夏のとある日のことだった。
「今日も暑いな……」
「今日も暑いですね……」
もうじき夏至に至ろうとする季節のまっただ中。うだるような熱気に支配された風通しの悪い病院の一室では、前身汗まみれになっている割合重傷の入院患者と、見舞いに来たものの暑さでパイプイスにだらしなく座っている少女であるる。
「本当に熱いな……」
「本当に熱いですねえ……」
病室の窓際に置かれたパイプベッドの上で、右手左足をギプスで包まれた仲原秀晃は、軟体生物のように力無く体をイスに預けている学生服姿の矢野原まきえの方を見た。
「……まきえ、いくらなんでもその格好はだらしないだろ」
さすがに見てられない、という感情を込められた台詞が秀晃の口から漏れる。
しかしまきえは、体をだるそうに起こしながら、部屋主に対し恨みがましい視線を返す。
「……何言ってるんですか、私だって好きでこんなかっこで居たい訳じゃないですよ? けど、部屋がこんなに暑いんだから仕方ないじゃないですか」
「……そうだったな、悪かった……」
目をそらしながら、弱々しい声で秀晃が答える。
枕元に置かれた温度計は38度を指し示し、ここはおよそ人間の住むようなところじゃないことを宣言している。
先日までは病室備え付けのエアコンが稼働していたのだが、さすがに連日連夜の真夏日に無理が掛かったのか先日天寿を全うされていた。今は立派な壁飾りとして存在しているのみである。
そう、現在この部屋で取られてる冷却策は、窓を全開にすることだけという、自然に優しく体に悪い、実にエコロジーな方法のみである。
ちなみに、エアコンの修理を病院側に要望はしているが、病院側曰く、電気店の予定が詰まっていて、今週いっぱいはどうにもならないとのこと。建物ぶち抜きの業務用大型エアコンなのだから家庭用の小型エアコンのようにはいかないのもわかるが、正直限界に近い。
まったく、こんな入院環境が最悪な病院が、実は県内でもっとも死亡率の低い有名病院というのだから嘆かわしい。
ため息を吐きながら、ちらとベッド脇に置かれた小棚の上に目をやる秀晃。つられるように、まきえも同じようにそちらを向いた。
小棚の上に置かれた花瓶に生けられた花は、暑さですっかりしおれきっている。
「「はぁ……」」
ため息が重なる。会話が止み、部屋にはミンミンと鳴く蝉の声しか聞こえなくなった。
「おまたせしました。冷たいジュース買ってきたよ、二人とも」
まきえとおなじ学生服を纏った流れるような長髪の少女──佐倉雪乃が缶ジュースを抱えて病室の入り口から顔をのぞかせた。
「ううっ、ありがとう雪乃っ。地獄に仏とはこのことねっ!」
雪乃から渡された500ミリリットル入りスポーツ飲料のプルトップを勢いよく開けると、まきえはそのままごくごくと音をたてながらすぐさま一本を飲み干した。
「少しは落ち着け、まきえ」
秀晃は、あきれ声で苦言を呈する。
「何言ってるんですか。人間の半分以上は水で出来てるんですよ。汗で減った分は毎日補給しないと死んじゃいます。死んじゃったら元も子もないんですからそんな細かいことこだわるなんでナンセンスなんですよ秀晃さん、ぷはー」
「って、おい!? お前、何二本目開けてるんだ、それは俺のだろっ!」
いつの間にか開けられた二本目の缶を目にし、慌てて手を伸ばす秀晃。
つい、と席を後ろに引き、秀晃の攻撃範囲外に待避するまきえ。
「いいじゃないですか、缶ジュースの一本や二本でけちけちしないで下さい秀晃さん。一日くらい水がなくったって人間は生きてられます。欲しければ買いに行けばいいじゃないですか」
そして、秀晃の抗議を右から左に聞き流しつつ、最後まで飲み尽くす。
「俺はひょいひょい動けないくらいわかっているだろ、ていうかそも言ってること矛盾してるし」
「君子は豹変すって昔のえらい人も言ってます。気にしない気にしない」
「気にするわー! っ痛たたた……」
怒鳴った勢いで、左足の傷が鈍く痛んだ。おもわずベッドの上でそれ以上声も出せずにもだえる秀晃。
「まだ一本有りますから、落ち着いて下さい秀晃さん」
そう言って苦笑しながら秀晃のおでこに残った缶ジュースを雪乃が当てる。
「ああ、生き返る……」
額に広がる冷たい感触に、天国に到着したような至福の表情で秀晃がつぶやく。
「あ、でもこれって雪乃の分じゃないのか?」
「心頭滅却すれば火もまた涼しって言いますから大丈夫ですよ、秀晃さん。それに、欲しかったらまた買いに行きますから」
そう言って、汗一つない顔で涼しげに笑う雪乃。
「あらら、今日も秀晃君の周りは楽しそうなイベントで一杯ね。フラグ立てまくり?」
「いや、これはこれで体が保たないんだぞ……って、誰だ?」
声の方に振り返ると、病室の入り口で長い栗色の髪の少女がいたずらっぽい顔をしてたっていた。ちなみに、夏なのになぜかケープを纏っている。
「こんにちわー、華蓮さん」
「こんにちわ観月さん」
「こんにちわ、お三人さん。あいかわらず今日もあついわね。あ、もちろんこの場合のあついは三人の仲が熱いことと気温が暑いことをかけてるんだけどね」
わざわざ解説しながら身軽な動作で観月華蓮は病室の中に入って来る。ちなみに、ぱたぱたとうちわで扇ぎながらなのはさすがなのかどうなのか。
「なあ、そのかっこ、暑くないか?」
「そんなこと無いわよ。夏仕様だから実際は見た目よりも涼しいから。……まあこの部屋じゃあどんなかっこしてたって暑いでしょうけど」
そして、廊下側の、比較的風通しのよい場所に陣取る華蓮。
「ところで、怪我の具合はどうなのかしら? マスターから『骨折くらいでバイトを休むな。学生が夏休みで遊びほうけるこんなくそ忙しい掻き入れ時なんだから、とっとと退院してバイトに出ろ』って伝言を承ってきたんだけど」
「入って最初に聞かされた雇用条件についての話は冗談じゃなかったのか、マスター……」
頬を引きつらせ硬直する秀晃。目元にはどんよりと黒い縦線が浮かぶ。
「安心して。『まあ、死んだら葬儀代を出さないといけなくなるから死ぬ寸前までしか働かせる気はない。いくらうちが人使いが荒くても命までは取る気はないから安心して戻ってこい』、って続きがあるから」
「……枕を涙でぬらして良いですか、華蓮さん?」
「バイトに出てくれるんなら私としてはいくらでも濡らしていいわよ。実際、秀晃君の抜けた穴埋め、結構みんなの負担になってるしね」
秀晃の言葉にむべもなく、しれっと答える華蓮。
「秀晃さんの職場ってすごいところなんですね……」
雪乃が哀れんだ声つぶやく。
「でも、若いときの苦労は買ってでもしろって言いますし、ここは一つ良い機会だと思ってですね、人並みに苦労してみたらどうですか、秀晃さん。いい社会勉強になりますよ」
のほほんとまきえが相づちを打つ。
秀晃は無言で体を起こすと、不気味なほど明るく笑みを浮かべた。
「まきえ、ちょっと来てくれないか?」
そして、怪我をしていない方の手をちょいちょいっと手前に振る。
「何ですか秀晃さん?」
眉を寄せ、不審な顔でまきえがベッド側まで寄ってきた。
それを確認し、満面の笑顔のまま秀晃は、むんず、と彼女の頭を無事な左手で鷲づかむ。
「おまえは一言よけいだっつーのこのすちゃらか娘。ちょっとはTPOって言葉を考えろ! だいたい誰のせいでこんなになったと思ってるんだ!?」
そのままギプスに包まれた右肘を頭に押しつけぐりぐりと回転させる。
「ぼ、暴力反対です秀晃さんー、その手を離してって、いたいいたいいたいー!? 側頭部をぐりぐりするのは反則ですからやめてくださいいいいっ」
「うるさい、少しは反省しろこのあーぱー猫娘っ」
ばたばたと暴れまわる二人。それを見ながら華蓮が笑う。
「十分元気んじゃないの。これだけ動けるならすぐバイトにこれそうじゃない?」
ひとしきりまきえをいびり倒した秀晃は、半死半生の彼女を解放すると、ギプスにくるまれた右手と左足を宙に挙げた。
「残念だが、退院予定は来週の頭だ。それに退院してもしばらくは松葉杖持ちだぞ」
「あらら。見た目ほどは大丈夫じゃないんだ。それは困ったわね……。ところで何やってそんな大怪我したの?」
心配と興味を混ぜた表情で華蓮が訊ねる。
「ちょっと足を踏み外して階段から落ちちゃったんですよね、ドジな秀晃さんが」
華蓮の問いに、秀晃のギプスアタックの痛みが残る頭を押さえながらまきえがいやらしく答える。
「あら、それはご愁傷様ね。でも、私が聞いた話だと、秀晃君が街一番の豪邸に忍び込む途中に手引きしたメイドのミスで飼い犬見つかって、逃げようとして塀から落ちて骨を折った、とかいうような内容だったんだけど」
不思議そうに首を傾げる華蓮。
「いや、それは激しく気のせいだ。なあ二人とも!?」
ごまかすように慌てて大声を出す秀晃。
「ええ、天に誓って完璧に気のせいだと思いますよ。ねえ雪乃?」
「えっと……そ、そうですね。秀晃さんが足を滑らしたときは驚きましたけど……。じゃなくて、観月さんの気のせいだと思います」
「そうよねー。いくら何でもこんな馬鹿話を信じれるわけ無いものね。一体何処でこんな話になったのかしら?」
腕を組み、再び華蓮が首を傾げる。
「そ、それで観月さんは今日どうしてこちらに?」
雪乃の言葉に、両手を打つ華蓮。
「あ、そうそう。誰かさんのおかげで本来の役目をわすれちゃうところだったわ」
「……俺へのお見舞いが目的じゃなかったのか」
「だって、相手が秀晃さんですから。期待する方が野暮ってものですよね」
明るくまきえがのたまった。
「うるさいこのはちゃめちゃ娘、少しは黙ってろ」
むんずと再びまきえを捕らえ、ギプス付きエルボーでの攻撃が再開される。
「いたいいたい! やめてください秀晃さん暴力反対〜〜〜!?」
「……ほんと、息がぴったりね、あの二人」
あきれたような感心したような顔の華蓮が言った。
「喧嘩するほど仲がいいと言いますから」
それに対し楽しそうに答える雪乃。
「そこ、かってに結論出さないでくれ。んで、華蓮の主題はなんなんだ?」
「うん。実はね、ここの病院についてちょーっと面白い話を聞いたのよね」
そして、一呼吸置くと、信じられないような言葉を口にした。
「人魚の肉探しに協力してくれない?」
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