解決されることもなく、闇に消えゆく難事件。

 それに、敢然と立ち向かう少女がいた。

 彼女の行く手を遮るのは、蠱惑に踊る幾多の謎と、人智を越えた数々のトリック。

 入り組んだPuzzle ringのつながりを、紫電一閃解き明かし、只唯一の真実を見つけだす。

 人は、そんな彼女をこう呼んだ──

 名探偵華蓮と。


名探偵華蓮──悲しみのLittle Mermaid

 
作:水上隆蘆

第一章 【それは、太陽が燦々と照りつける真夏のとある日のことだった。】


 それは、太陽が燦々と照りつける真夏のとある日のことだった。
「今日も暑いな……」
「今日も暑いですね……」
もうじき夏至に至ろうとする季節のまっただ中。うだるような熱気に支配された風通しの悪い病院の一室では、前身汗まみれになっている割合重傷の入院患者と、見舞いに来たものの暑さでパイプイスにだらしなく座っている少女であるる。
「本当に熱いな……」
「本当に熱いですねえ……」
 病室の窓際に置かれたパイプベッドの上で、右手左足をギプスで包まれた仲原秀晃は、軟体生物のように力無く体をイスに預けている学生服姿の矢野原まきえの方を見た。
「……まきえ、いくらなんでもその格好はだらしないだろ」
 さすがに見てられない、という感情を込められた台詞が秀晃の口から漏れる。
 しかしまきえは、体をだるそうに起こしながら、部屋主に対し恨みがましい視線を返す。
「……何言ってるんですか、私だって好きでこんなかっこで居たい訳じゃないですよ? けど、部屋がこんなに暑いんだから仕方ないじゃないですか」
「……そうだったな、悪かった……」
 目をそらしながら、弱々しい声で秀晃が答える。
 枕元に置かれた温度計は38度を指し示し、ここはおよそ人間の住むようなところじゃないことを宣言している。
 先日までは病室備え付けのエアコンが稼働していたのだが、さすがに連日連夜の真夏日に無理が掛かったのか先日天寿を全うされていた。今は立派な壁飾りとして存在しているのみである。
 そう、現在この部屋で取られてる冷却策は、窓を全開にすることだけという、自然に優しく体に悪い、実にエコロジーな方法のみである。
 ちなみに、エアコンの修理を病院側に要望はしているが、病院側曰く、電気店の予定が詰まっていて、今週いっぱいはどうにもならないとのこと。建物ぶち抜きの業務用大型エアコンなのだから家庭用の小型エアコンのようにはいかないのもわかるが、正直限界に近い。
 まったく、こんな入院環境が最悪な病院が、実は県内でもっとも死亡率の低い有名病院というのだから嘆かわしい。
 ため息を吐きながら、ちらとベッド脇に置かれた小棚の上に目をやる秀晃。つられるように、まきえも同じようにそちらを向いた。
 小棚の上に置かれた花瓶に生けられた花は、暑さですっかりしおれきっている。
「「はぁ……」」
 ため息が重なる。会話が止み、部屋にはミンミンと鳴く蝉の声しか聞こえなくなった。
「おまたせしました。冷たいジュース買ってきたよ、二人とも」
 まきえとおなじ学生服を纏った流れるような長髪の少女──佐倉雪乃が缶ジュースを抱えて病室の入り口から顔をのぞかせた。
「ううっ、ありがとう雪乃っ。地獄に仏とはこのことねっ!」
 雪乃から渡された500ミリリットル入りスポーツ飲料のプルトップを勢いよく開けると、まきえはそのままごくごくと音をたてながらすぐさま一本を飲み干した。
「少しは落ち着け、まきえ」
 秀晃は、あきれ声で苦言を呈する。
「何言ってるんですか。人間の半分以上は水で出来てるんですよ。汗で減った分は毎日補給しないと死んじゃいます。死んじゃったら元も子もないんですからそんな細かいことこだわるなんでナンセンスなんですよ秀晃さん、ぷはー」
「って、おい!? お前、何二本目開けてるんだ、それは俺のだろっ!」
 いつの間にか開けられた二本目の缶を目にし、慌てて手を伸ばす秀晃。
 つい、と席を後ろに引き、秀晃の攻撃範囲外に待避するまきえ。
「いいじゃないですか、缶ジュースの一本や二本でけちけちしないで下さい秀晃さん。一日くらい水がなくったって人間は生きてられます。欲しければ買いに行けばいいじゃないですか」
 そして、秀晃の抗議を右から左に聞き流しつつ、最後まで飲み尽くす。
「俺はひょいひょい動けないくらいわかっているだろ、ていうかそも言ってること矛盾してるし」
「君子は豹変すって昔のえらい人も言ってます。気にしない気にしない」
「気にするわー! っ痛たたた……」
 怒鳴った勢いで、左足の傷が鈍く痛んだ。おもわずベッドの上でそれ以上声も出せずにもだえる秀晃。
「まだ一本有りますから、落ち着いて下さい秀晃さん」
 そう言って苦笑しながら秀晃のおでこに残った缶ジュースを雪乃が当てる。
「ああ、生き返る……」
 額に広がる冷たい感触に、天国に到着したような至福の表情で秀晃がつぶやく。
「あ、でもこれって雪乃の分じゃないのか?」
「心頭滅却すれば火もまた涼しって言いますから大丈夫ですよ、秀晃さん。それに、欲しかったらまた買いに行きますから」
 そう言って、汗一つない顔で涼しげに笑う雪乃。
「あらら、今日も秀晃君の周りは楽しそうなイベントで一杯ね。フラグ立てまくり?」
「いや、これはこれで体が保たないんだぞ……って、誰だ?」
 声の方に振り返ると、病室の入り口で長い栗色の髪の少女がいたずらっぽい顔をしてたっていた。ちなみに、夏なのになぜかケープを纏っている。
「こんにちわー、華蓮さん」
「こんにちわ観月さん」
「こんにちわ、お三人さん。あいかわらず今日もあついわね。あ、もちろんこの場合のあついは三人の仲が熱いことと気温が暑いことをかけてるんだけどね」
 わざわざ解説しながら身軽な動作で観月華蓮は病室の中に入って来る。ちなみに、ぱたぱたとうちわで扇ぎながらなのはさすがなのかどうなのか。
「なあ、そのかっこ、暑くないか?」
「そんなこと無いわよ。夏仕様だから実際は見た目よりも涼しいから。……まあこの部屋じゃあどんなかっこしてたって暑いでしょうけど」
 そして、廊下側の、比較的風通しのよい場所に陣取る華蓮。
「ところで、怪我の具合はどうなのかしら? マスターから『骨折くらいでバイトを休むな。学生が夏休みで遊びほうけるこんなくそ忙しい掻き入れ時なんだから、とっとと退院してバイトに出ろ』って伝言を承ってきたんだけど」
「入って最初に聞かされた雇用条件についての話は冗談じゃなかったのか、マスター……」
 頬を引きつらせ硬直する秀晃。目元にはどんよりと黒い縦線が浮かぶ。
「安心して。『まあ、死んだら葬儀代を出さないといけなくなるから死ぬ寸前までしか働かせる気はない。いくらうちが人使いが荒くても命までは取る気はないから安心して戻ってこい』、って続きがあるから」
「……枕を涙でぬらして良いですか、華蓮さん?」
「バイトに出てくれるんなら私としてはいくらでも濡らしていいわよ。実際、秀晃君の抜けた穴埋め、結構みんなの負担になってるしね」
 秀晃の言葉にむべもなく、しれっと答える華蓮。
「秀晃さんの職場ってすごいところなんですね……」
 雪乃が哀れんだ声つぶやく。
「でも、若いときの苦労は買ってでもしろって言いますし、ここは一つ良い機会だと思ってですね、人並みに苦労してみたらどうですか、秀晃さん。いい社会勉強になりますよ」
 のほほんとまきえが相づちを打つ。
 秀晃は無言で体を起こすと、不気味なほど明るく笑みを浮かべた。
「まきえ、ちょっと来てくれないか?」
 そして、怪我をしていない方の手をちょいちょいっと手前に振る。
「何ですか秀晃さん?」
 眉を寄せ、不審な顔でまきえがベッド側まで寄ってきた。
 それを確認し、満面の笑顔のまま秀晃は、むんず、と彼女の頭を無事な左手で鷲づかむ。
「おまえは一言よけいだっつーのこのすちゃらか娘。ちょっとはTPOって言葉を考えろ! だいたい誰のせいでこんなになったと思ってるんだ!?」
 そのままギプスに包まれた右肘を頭に押しつけぐりぐりと回転させる。
「ぼ、暴力反対です秀晃さんー、その手を離してって、いたいいたいいたいー!? 側頭部をぐりぐりするのは反則ですからやめてくださいいいいっ」
「うるさい、少しは反省しろこのあーぱー猫娘っ」
 ばたばたと暴れまわる二人。それを見ながら華蓮が笑う。
「十分元気んじゃないの。これだけ動けるならすぐバイトにこれそうじゃない?」
 ひとしきりまきえをいびり倒した秀晃は、半死半生の彼女を解放すると、ギプスにくるまれた右手と左足を宙に挙げた。
「残念だが、退院予定は来週の頭だ。それに退院してもしばらくは松葉杖持ちだぞ」
「あらら。見た目ほどは大丈夫じゃないんだ。それは困ったわね……。ところで何やってそんな大怪我したの?」
 心配と興味を混ぜた表情で華蓮が訊ねる。
「ちょっと足を踏み外して階段から落ちちゃったんですよね、ドジな秀晃さんが」
 華蓮の問いに、秀晃のギプスアタックの痛みが残る頭を押さえながらまきえがいやらしく答える。
「あら、それはご愁傷様ね。でも、私が聞いた話だと、秀晃君が街一番の豪邸に忍び込む途中に手引きしたメイドのミスで飼い犬見つかって、逃げようとして塀から落ちて骨を折った、とかいうような内容だったんだけど」
 不思議そうに首を傾げる華蓮。
「いや、それは激しく気のせいだ。なあ二人とも!?」
 ごまかすように慌てて大声を出す秀晃。
「ええ、天に誓って完璧に気のせいだと思いますよ。ねえ雪乃?」
「えっと……そ、そうですね。秀晃さんが足を滑らしたときは驚きましたけど……。じゃなくて、観月さんの気のせいだと思います」
「そうよねー。いくら何でもこんな馬鹿話を信じれるわけ無いものね。一体何処でこんな話になったのかしら?」
 腕を組み、再び華蓮が首を傾げる。
「そ、それで観月さんは今日どうしてこちらに?」
 雪乃の言葉に、両手を打つ華蓮。
「あ、そうそう。誰かさんのおかげで本来の役目をわすれちゃうところだったわ」
「……俺へのお見舞いが目的じゃなかったのか」
「だって、相手が秀晃さんですから。期待する方が野暮ってものですよね」
 明るくまきえがのたまった。
「うるさいこのはちゃめちゃ娘、少しは黙ってろ」
 むんずと再びまきえを捕らえ、ギプス付きエルボーでの攻撃が再開される。
「いたいいたい! やめてください秀晃さん暴力反対〜〜〜!?」
「……ほんと、息がぴったりね、あの二人」
 あきれたような感心したような顔の華蓮が言った。
「喧嘩するほど仲がいいと言いますから」
 それに対し楽しそうに答える雪乃。
「そこ、かってに結論出さないでくれ。んで、華蓮の主題はなんなんだ?」
「うん。実はね、ここの病院についてちょーっと面白い話を聞いたのよね」
 そして、一呼吸置くと、信じられないような言葉を口にした。
「人魚の肉探しに協力してくれない?」


第二章 【「は?」】

「は?」
 秀晃以下、三人の第一声はそれだった。見事なくらいハモっている。
「人魚の肉──ですか?」
 互いの顔を見合わせる三人。当然というか、皆同じ顔──返答に困った表情をしている。
「人魚って言うと、上半身が女性で、下半身が魚っていう、あの人魚、でいいんですよね?」
 三人を代表して、まきえがおずおずと華蓮に聞いてみる。
「うん、その人魚。昔話なんかでよく出てくる不思議なシロモノなんだけどね」
 そして、もう一度秀晃以下三人の顔を華蓮は見回す。
「どんな効果があるか、聞いたことある?」
「──食べた物に不老不死の力を与える神秘の食物、ですよね?」
「知ってるのか、雪乃?」
「えっと、私、お魚さんが好きですから。昔本で見たことがあったんです」
 恥ずかしそうに小さく笑う雪乃。
「さっすが雪乃ね。いつも魚図鑑を読んでるのは伊達じゃない!」
「いや、人魚は魚類に含まれるのか……?」
 はしゃぐまきえを余所に秀晃は首を傾げる。
「そうね。雪乃さんの言うとおり東洋の人魚伝説では不老不死の妙薬として知られてるわね。秦の始皇帝も手に入れようと求めたなんて話もあるくらいポピュラーなものよ」
 秀晃のつぶやきを無視しながら、どこから出したのか華蓮がコーンパイプ片手に解説する。
「もしかして、華蓮さんはその伝説の人魚の肉がこの病院にある、と。そう言いたいわけなんですか?」
「なかなか察しがいいわよ、まきえちゃん。そのとおり。ここ、黒伸病院には伝説の『人魚の肉』が古よりずっと保管されてるそうなの。
 今回の私の目的は、この隠された秘宝、『人魚の肉』を見つけだすことにあるのよ!」
 華蓮がそう宣言した次の瞬間、ばばーん、という効果音が聞こえた気がした。
「あの……盛り上がるのはいいが裏はとれてるんだろうな? いくら何でもそんな空想じみた話をいきなり信じろなんて無理だぞ?」
 目を細めた秀晃が胡散臭げに尋ねる。当然だろう。伝説の食べ物は、実はエアコンの修理もままならないような病院の一角に有るなんてことを言われても納得など出来るはずもない。
 しかし、その言葉に対し栗色の前髪をふぁさ、と掻き揚げると、妙に自信たっぷりの声で華蓮が答える。
「秀晃君。昨年、この病院で起きた連続殺人事件、覚えてる?」
「ええと、たしか院長と外科部長、そして彼らと親しかった人間が立て続けに病院内で殺されたって事件だよな。
 ……まさか、あれはこの人魚の肉が原因で殺された、なんて言うんじゃないだろうな?」
「ふっふっふ、秀晃君良い勘してるわね。その通りよ」
 胡散臭さを通り越し、呆れきった声の秀晃に対し、全く気にせず得意げに華蓮が答える。
「でもあれは病院内の権力争いが発端だって言うのが世間の間での定説っぽいですけど?」
「そんな定説俺は初耳だぞ……」
 どうせ『話題の○○』とか『週間○○!』なタイトルのイエロージャーナリズムな雑誌から仕入れて来たんだろうけど、と思いながら秀晃がつぶやく。
「甘いわよまきえちゃん。あれは公表できない真相から一般人の目をそらそうとする意図的な情報操作なのよ。考えてみなさい、この病院がどうして県内一の低死亡率を誇ると思う? そしてなぜ病院関係者の死亡する率が高いのか?」
 秀晃のつぶやきも気にすることなく、にやりと笑みを浮かべる華蓮。
「ということは、人魚の肉は実在するんですか? すごいです華蓮さん。そんなすんごい物があったら私たち大金持ちになれますか!?」
「もちろんよ。たとえて言えば、大判小判がザックザク。こんなエアコンの壊れた病室に涼みに来たりしなくても、完全管理された超高層ビルの最上階のスゥィートルームで専属の敏腕ドクターと数え切れない美男子ホストに囲まれた生活を送っても余るほどの資産ができちゃうのよ!」
「なんてすばらしいお話なんですかっ。私、がんばっちゃいます」
 盛り上がる二人を醒めた目で見ながら秀晃が口を開く。
「でもなあ……それを信じろって言われても」
「なに言ってるのかな秀晃君は。こう言うときの有名なセオリーが有るでしょう」
「あり得なくても最後に残ったものが唯一の真実、か?」
 眉間にしわを寄せつつ答える。
「そ、探偵小説のセオリーね」
 現実に小説のセオリーを持ち込んで良いのか、とか、そもそも超常現象なシロモノが出てきた時点でミステリーでも何でもない、とか様々な突っ込みどころが秀晃の頭をよぎる。もっとも、それを言ったところで無視されそうなのでとりあえず黙っておくことにする。
 とりあえず、倦怠感に包まれながらも隣にいる亜麻色の髪の少女に尋ねる。
「……で、あっちの二人はああ言って盛り上がっているんだが、雪乃はどうするんだ?」
「放っておく訳にもいけませんし、とりあえず二人についていこうかと思いますけど……」
「そうだよな。このままほっとくと大変なことになりそうだし……」
 きゃあきゃあと持ってもいない狸の革の数を数えいる華蓮とまきえを横目に、秀晃は疲れた顔で再びため息を吐いた。


第三章 【そこは、秘密の地下室だった。】

 そこは、秘密の地下室だった。
 ぽたーん、と露が一滴、コンクリートの上に落ちる。
 院長室から続く秘密通路の先にある三十畳ほどの部屋。そこにあるのは、中央に引かれた古びたカーペットに、いろんなものが雑多に放り込まれている錆びたロッカー、そして、周囲を囲むモルタルの壁。それは、ものの見事に殺風景な室内。いちおうこの場所が倉庫でないと分かるのは、部屋の中央に寿命が尽きかかったくたびれた応接用のテーブルと小さなソファーが何脚か置かれてるためだ。
 そのテーブルで向かい合い、人目を避けるように押し殺した声で密談を行っているのは三人組の白衣の男女。
 輪の中心で、腕を組み、かったるそうに机に肘を立てているのは、この病院の院長にして、悪名高き美人女医、汽京紅葉。
 そして、その左隣で憮然とした顔で立っているのは、つい先日この病院の外科部長を拝命した若き天才、霧島拓也。
 残る右隣には、拓也の恋人でもある黒伸病院のナース、榊芹が深刻そうに眉を寄せている。
「……っていうのが、つい5分ほど前の会話だね」
 エアコンのぶっこわれた入院病棟最奥の隔離部屋で会話されていた、人魚の肉のありか、なんていうどこから考えても考慮に値しない与太話について、芹は大真面目に報告する。
「世の中には相当な暇人もいるものねえ……今時人魚の肉なんて本気で信じてるなんて」
「まあ、ちょっと前には桜の精が人間になったりしましたから……人魚くらい居ても良いと思ったんじゃないんですか?」
「あー、もう。これだから現代物のくせにおファンタジーな設定っていやなのよ」
 テーブルを二、三度指でこつこつと叩きながら、かったるそうに紅葉が吐き捨てる。
「思いっきり人魚関係者のおまえが言うなよ……」
 拓也は深刻な顔で額を押さる。
「なによー、たっくんはかまわないわけ? こんなおちゃらけた展開。だいたいあの子達と私たちってほとんど関係がないわよ? せいぜいソフマップ特典のおまけCDでしか会って無いじゃないの。いくらクロスオーバー物だからってこんなお茶らけ許されると思う?」
「いや、今更そんなところに突っ込みを入れたって仕方がないだろ、紅葉」
 口元を引きつらせながら拓也が言う。
「むっ、私のことは、名前で呼ぶなって言ってるでしょたっくん!」
 すぱーん。
 どがしゃん。
 軽やかな音と共に巨大ハリセンが振り下ろされ、衝撃で床にひっくり返る拓也。
「……全く。何度『院長と呼べ』って言わせる気かしら、たっくんは。先日役員会の選挙で選ばれたんだからちゃーんと役職で呼んで欲しいわよね」
「お、おまえだって今俺のことを『たっくん』って呼んだじゃないか!? おまえはよくて俺はダメなのか!?」
 体を起こし、抗議する拓也。
「ダメに決まってるじゃない」
 躊躇無く断言された。二の句が継げず絶句する拓也。
「私は院長、あなたは一外科部長。立場が違うの。た、ち、ば、が。あー、ほんと院長特権っていいわよね〜〜♪」
 心底からの笑みを浮かべながら紅葉が手を合わし喜ぶ。
「ちくしょう、次の院長選挙のとき吠えずらかくなよ……」
 搾り取るような声で拓也が呻く。
「そんな地面に転がったままで遠吠えしたってだめよん、たっくん。院長の座はちゃーんと実力で勝ち取らなきゃ。まあたっくんが私をお嫁にもらってくれるっていうんなら、ちょっとは考えてもいいけど」
 そう言って冗談ぽく笑う紅葉。視線は左三十八度の流し目だ。
「センセ、すぐ横に拓也の恋人が居るのは目に入ってますよね?」
 そう言いながら、感情の込められてない、にっこりした笑みを浮かべる芹。右手はさりげない動きでクリップボードの角度を持ちかえ、胸元へと移動させる。
「いやん、冗談だって芹ちゃん。たまには冗談の一つも言ってみたいじゃない?」
「そうですよね、院長の冗談には毎回毎回楽しませてもらってます」
 院長、の部分を強調しながら、芹は冷たい視線を紅葉に向ける。
 一方、紅葉は芹から目をそらしながら、自然な風を装いながら額に浮かんだ冷や汗をハンカチで拭う。
「……話を戻しましょ。それで、前作の四人組の子たちが、この病院にある人魚の肉を探し始めた、ということでいいわけね?」
「そうなりますね」
 紅葉の台詞に肯く芹。
「だったら仕方ないわよね。本当はやりたくないんだけど、触れてはいけないことに近づこうとしてるんなら表世界から消えてもらわないと。ホント、こういうときだけは、この病院で過去何度も謎の殺人事件が起こってるって事実はいろいろと便利よねー」
「便利とか言うなっ!?」
 思わずつっこむ拓也。
「なによー。いざというときのためにせっかく機密費で飼ってる刺客が居るんだから、使わなきゃもったいないじゃない」
 背もたれに体を預けながら、大儀そうに紅葉が腕を組み、ちらと拓也を片目で見る。
「……そんなことに金を使ってるから、エアコンの動作チェックをする金が無くて、結局壊れたんじゃないのか? しかもすぱーんと新しいのも買えないからっていちいち修理、なんて話になってるし」
「文明の利器だって使いすぎたらいけないことくらい知ってるでしょたっくん。人間欲望に赴くまま楽に走ったらいけないのよ。そう、これはあくまで自然のままこそが健康にもっともいいことを分かってもらうために行ったものなの」
 重々しく含蓄有る言葉を口にする紅葉。
「そうか。じゃあまずはここのトップに実践してもらおう。とりあえず明日にでも、壊れた病室のエアコンを現在生き残ってる院長室のエアコンと取り替えてもらおう」
「ひどいっ。たっくんわたしを殺す気!? この真夏のど真ん中でエアコンを取り上げるなんて人間のする事じゃないわよ!」
 拓也の言葉に涙目で不服を訴える紅葉院長。
「上役がやらないのに下っ端が賛同できるか」
「うう、今日のたっくんはきびしい。お姉さん悲しいわ」
「いや、紅葉は俺の姉さんじゃないだろ……」
「……いい加減話戻してくれないかな? ふたりとも」
 いっかな進まない展開に、凍えるような声で芹がにこりと笑いかける。
「あ、はい、戻します、戻させていただきます。だからその頭上に構えた四角い物体をおろしてくれませんか芹(ちゃん)」
 口から鉄棒をつっこまれたように背筋を伸ばし、冷や汗をかきながら二人が懇願する。
「もう、脱線ばかりなんだから。とりあえず、噂の四人組の現状を確認しておくのが先、でいいんですね?」
「もっちろんよ、芹ちゃん。そうした方が大事よね。
 ……とりあえず彼女たちの居場所を見つけて……ひょっとしてまだ病室でごたごたしてるのかしら?」
「えーと、確か……」
 芹が手元のクリップボードに挟んであるメモ用紙をぴらとめくって確認する。
 その次の瞬間。
 地下室の扉が吹き飛んだ。


第四章 【どごーん!】

 どごーん!
 盛大な音を立てて鉄の扉が空中を飛翔し、地面へと激突する。
「な、なにっ!? 一体誰……ってまさか」
 舞い上がる埃の中、ごほごほと咳をしながら隠れ部屋の中の三人は派手にぶちこわされた入り口を見る。
 薄暗い、煙に覆われた場所には、腰に手を当てている少女2人と、その後ろで申し訳なさそうにしている男女がいる。
「こんばんわ、あるいは初めまして、かしら? 汽京院長」
不適に口元をゆがめ、胸を反らして室内の三人を見下ろす華蓮。
「くっ。この場所は病院関係者でもごく一部の人間しか知らないはず……どうしてこんなに早く気が付いたんだっ!?」
 拓也は驚愕で慌てながらも疑問を口にする。
「あ、それは協力者がいてくれたからなのよね」
 そう言って、華蓮の背中に隠れるようにしていた新たな女の子二人を前に押し出す。
「香澄ちゃん!?」
「木葉!?」
 思わず拓也と紅葉の声がハモる。
「その……咲月ひなちゃんの降霊会でおにいちゃんの念写写真集を撮ってくれるっていうものですから……」
 紅葉以下の病院関係者に対し、申し訳なさそうに目をそらす見習いナース姿の香澄ちゃん。
「紅葉先生にはいろいろとお世話になってはいるんですけれど、おにいちゃんの写真といわれたらやっぱり裏切っちゃうのも仕方ないんじゃないのかと思っちゃったりするわけなんですよねー」
「愛故に、なのです。人は悲しい生き物なのです」
 そして、相変わらずのにゃんこパジャマを着た木葉が厳かに語る。
「……いや、あなたにだけは言われたくないんだけど」
 げんなりとした声で紅葉が裏目がましく妹を見た。
「そういうことで、さあ、院長。この病院にある人魚の肉を渡してください」
 手を突き出し華蓮が要請する。
「何を言ってるのかしら。アレを簡単に私たちが渡すと思っているのかしら」
それを聞いた華蓮はにやりと笑う。
「ということは、やっぱりあるんですね、院長先生」
「……あら? ひょっとして自爆?」
「こんな簡単な誘導尋問に引っかかるなよ!?」
 拓也が嘆きとも呆れとも取れる悲鳴を上げる。
「……ふ、でもこの場に来たくらいでまだまだ人魚の肉にたどり着けるとは
思わない事ね。いでよっ、橘ナース長! その隠された実力を見せる時よっ」
 突っ込みにもめげず、紅葉がばさりと白衣の裾を舞い踊らせる。
 その動きに瞬時に身構える華蓮達。
 ……。
 …………。
 ……しかしいつまで経っても待ち人は現れない。
「……院長先生。言いにくいことなんですけど橘さんは昨日の事件後アンニュイな気分に浸りたいとのことで昨日から伊豆の保養地に旅行に行ってますけど」
 おずおずと申し訳なさそうに芹が紅葉に忠告する。
「そんなお金どこから出るのよー。病院がこんな状態だって言うのに。橘さん実は実家が大金持ち?」
「いえ、遺言で立木先生の遺産はすべて橘さんの物になったとか……」
「………………」
 がっくりと地面に崩れ落ちる紅葉。
「じゃ、じゃあこの病院最強の破壊神香澄ちゃん、って向こうの手下になってるんじゃないわよー!?」
「ひゃあ、ごめんなさい院長ー」
 怒声に頭を押さえ、その場で小さく縮こまる香澄。
「ちなみに、にゃんだばーはあえて中立の立場なのです。それこそ公正というものなのです」
「この場所教えた段階で中立でも何でもないわよ……」
「それはそれとしてスルーして欲しいのです。空気を読め、なのです、姉さん」
 むしろそっちが空気を読め、妹、と喉まで出かかった言葉を飲み込みつつ、紅葉は次の手を考える。
「仕方ないわね。ならば、改めて……いでよ、死の姉妹! 汝らの秘技を見せるのよ」
「……なんだか悪の大幹部みたいだぞ紅葉。しかも死の姉妹って語呂は悪ぐげば!?」
「うっさいわね。手下1はよけいなこと言わないで黙ってなさい」
 拓也を鉄パイプでぶん殴った後、改めて紅葉が手を振り上げた。そして、間髪入れずに振り下ろす。それを合図に、部屋の左右から医療用メスが雨霰 と華蓮たちへと降り注ぐ。
「うわっひゃぁぁぁぁ!?」
 雪乃とまきえにかかえられ、扉の残骸の後に隠れる秀晃。
「情けないですよ秀晃さん……」
「いきなりであんなものかわせるか! って、華蓮は!?」
キィン、カァン、キィン。
 秀晃達が振り返った先では、硬質の刃は華蓮の手に持たれた白銀のお盆に次々と弾かれていく。
「いい腕ね。でも、この程度で勝てるとは思わないことね。姿を現しなさい!」
 そして、防御で使ったお盆をソーサーのように部屋の暗がりへ投げ込んだ。直後、そこから影が飛び上がり、華蓮の前に着地する。
「出たわね人気投票上位姉妹」
 ブーメランのように戻ってきたお盆を構え直し、油断なく華蓮が口を開く。
「ふふふふふ。夏休みの看護学校行程を利用して確保した現場実習生の力、思い知らせてあげなさい、真魚ちゃん美魚ちゃん」
「いや、その言い方は強そうじゃないようなげばは!?」
 再び紅葉の鉄パイプによって地面へと崩れ落ちる拓也。
 そんなやり取りとは別に、華蓮と二見姉妹の間では一触即発のやり取りが続いている。
「ふふふ、ロートルには負けませんよ。コンシュマーに移植されたキャラクターの実力を思い知らせてあげます」
「購買層の広さが戦力の決定的な差でないことを教えてあげるわ、お二人さん」
 双方、素人目にも明らかなほどの気迫が周囲を包み、双頭の龍と巨大蠍のオーラが空中で激突する。
「……でも、メーカー自体が消滅してるのに今更そんなことで争うのは五十歩百げはぁ!?」
 飛来してきた鉄パイプによって地面にはいつくばる秀晃。
「……キジも鳴かずば撃たれまい」
「自業自得ですね……」
「秀晃さん、不注意ですよ」
「俺と同じ目に遭うのは主人公ゆえの仕様なのか……?」
「人はたとえ意味が無くても、戦わねばならない事があるのです」
「うう、ひどい扱いだ……」
 白けた視線に突き刺さされながら秀晃は地面にはいつくばった。


  ◇◆◇◆◇◆◇

 キィン、カァン、キィン。
 飛来するメスの群。それを舞うようにはじき飛ばす一枚のお盆。それは何時までも続く美しい演舞のよう。
 しかし、投げる側は2人。弾く側は1人。疲労が溜まり、華蓮は徐々に部屋隅へと追いつめられていく。
「そろそろ息が上がってきたんじゃありませんか、観月さん? 降参するなら今のうちですよ」
「命までは取らない……。私たちは、ただ忘れて欲しいだけ。あれは、人の手に渡るべきものじゃないから……」
 一歩一歩距離を詰めつつ、反意を促す美魚と真魚。
「そうかもしれないわね。でも、人は真実を追い求めるもの。真実に近づくことが人類を進歩させるのよ」
 もう下がる場所はない。壁を背にし、それでも華蓮は不適に笑い、ゆっくりと白銀の得物を構え直す。
「そうですか。なら仕方有りません……」
「かわいそうだけど、ここで退場してもらいます」
 姉妹は指に3本づつ、計6本のメスをそれぞれが構える。
「「終わりですっ!」」
 裂帛のかけ声と共に、姉妹はメスを振りかぶり。
「残念。こっちにはまだ奥の手があるのよっ」
 華蓮がケープの中に手を突っ込むと、次の瞬間写真を取り出し空中へとばらまいた。
「一体、何を……」
 思わず動きを止め、二見姉妹はひらひら舞うその一枚を手にする。
 そして──
「きゃああ!?」
 悲鳴を上げながら慌てて写真を回収しようと右に左に走り出す。
「……一体なんだ?」
 離れて事の成り行きを見ていた拓也は、たまたま目の前に舞い降りてきた写真を手に取る。
「ぶふっ」
 盛大に鼻血を出してうずくまる拓也。
「……そう、これが秘密兵器。二見姉妹のパンチラ写真集よ!」
 華蓮の背後からばばーん、と効果音が響き渡る。
「いつも穿いてるノーマルものから、こっそり着ていた勝負パンツまで、都合39種類を網羅。計263枚のお宝写真が赤裸々に激写されている貴重なシロモノよ。特に、今霧島先生が持ってる二人が同時に写った紐パン姿は珠玉の一品かしら」
 ふふん、と得意げに鼻を鳴らす華蓮。
「霧島先生は見ないでくださいー!」
 乙女の秘密を守るべく、神速の勢いで姉妹同時に繰り出される回転回し蹴り。
 ごききゅっ。
「ぶげぎしゅぁ!?」
 容赦なく命中した蹴りにより、見事な音がして拓也が床をバウンドしながら壁に激突する。
「……はっ。先生? 先生っ! しっかりしてください先生ー」
「先生が死んじゃったら、私……」
 己のやったことに気が付き、ぴくりともせずともせず死の淵をうろつく拓也を慌てて介抱する二見姉妹。
 その甲斐あってか拓也は何とか意識を取り戻す。
「……ぶは、今さっき、母さんが川の向こうで手を振ってる景色が見えた気が……」
 そんな拓也に、優しい笑みを浮かべて近づく芹。
「ちなみに、二人の下着の色は何色だった? 拓也」
「レースの黒」
「しっかり覚えてるんじゃないっ!」
 芹がクリップボードを振り下ろした。
「びゃぶばしゃあ!?」
 びくびくっ、と手がふるえ、次の瞬間ぱたり、と地面に力無く落ちる。
「せ、先生!? 先生ー!」
 二見姉妹が必死で拓也を揺すっている。拓也に必死で付き添う姿を見るに、これ以上の戦闘行動はもはや出来ないだろう。……なにせ、手を離したら拓也は死にそうだし。
「……さすがね、この病院一の猛者をこういった手段で無力化するなんて。さすがは初代ヒロインと言ったところかしら」
「お褒めにあずかり恐悦至極よ、汽京院長」
 ふっふっふ、と不適な笑みを互いに浮かべつつ、にらみ合う汽京と華蓮。
「どっちかというとアレは自爆……」
 なんとか喋れるくらいには回復していた秀晃の突っ込みは無視された。
「しかたないわね。ここは黒伸病院の若き天才美人ドクター、完全無欠の紅葉様が直々にお相手をしてあげるわ」
「そうね、真のヒロイン同士どちらがその座にふさわしいか戦って決めるとしましょう。そして、人魚の肉はいただくわ」
指を突きだし高らかに宣言する華蓮。
「でも残念。私はまともに相手なんかしないのよね」
「……どういう事かしら?」
「ねえ、観月さん。一つ聞いていいかしら」
 華蓮の疑問に対し、答えることもなく質問を返す紅葉。
「なにかしら? 分け前なら7・3までなら考慮するわよ。もちろん7が私たちだけど」
「残念ながらそう言う話じゃないのよね。裁判で最後にものを言うのは何か知ってるかしら?」
「それは、明確な証拠……まさかっ!?」
「そう、人魚の肉という重要な証拠が見つからなかったとしたら、一体どうなるかしら」
 にやりと笑うと、紅葉は壁から突き出たレバーに手を掛ける。
「どんなときも最終手段は確保しておくものよ、観月さん。残念だったわね」
「待ちなさい、早まらないで汽京院長!」
「……さようなら、忌まわしき記憶よ」
 そして紅葉はレバーを思い切り引いた。



  ◇◆◇◆◇◆◇

 大爆発。
 それがすべての終演だった。
 黒伸病院の地下に存在する地下施設は半崩壊し、二度と使用が不可能となった。
 華蓮達は来た道を慌てて戻り、かろうじて脱出に成功。
 一方、汽京以下の5名は壁に隠された隠し扉から同じく脱出に成功した。
『疑惑の病院で大規模な地下爆発』
 この一連の騒動にマスコミ各社は一斉に騒ぎ立てたが、紅葉は「前院長の隠し部屋が崩れた為」と公表し、それ以上の追求を乗り切った。
 一部では『人魚の肉』が噂の真相にあるのではと騒がれたりもしたが、結局現物がないため単なる都市伝説として扱われることになった。
 華蓮は地団駄を踏んで悔しがったが、決定的な証拠を用意する事が出来ないため、やむなくこの件からは手を引くこととなった。ただし、人魚の肉に関するあらゆる事を公表しない代わりとして、黒伸病院から幾ばくかの口止め料をせしめる事には成功したらしい。

 そう、すべては平穏無事、依然と変わらぬ状態に戻ったのだった。


エピローグ 【からんからーん、とベルが鳴る。】

 からんからーん、とベルが鳴る。
 久しぶりに開けるパルティータのドアは、相変わらず軽やかだった。
 中をのぞき込むと、入り口から聞こえる喧噪も変わっていない。パルティータは相変わらず盛況のようだった。
「ようやく退院できたのね、秀晃君。今日も女の子引き連れてお茶会?」
 お盆片手に相変わらずのウェイトレス姿な華蓮が笑って出迎えてくれる。
「聞く人が勘違いするような言い方はやめてくれ。いつもの常連メンバーだろ」
 振り返り、後ろに立っている雪乃とまきえを目線で指し示す。
「おはようございます華蓮さん」
「おじゃましまーす」
 明るい声で挨拶する雪乃とまきえ。
「二人とも、秀晃君の退院祝いも大変ね」
 笑いながら、わざとらしく秀晃の方を見る華蓮。
「それは俺が迷惑を掛けてるような言い方に聞こえるぞ」
「実際掛けてるんじゃない。聞いたわよ、秀晃君が何処で怪我したか」
 にやにやとしながら、にやっと口元をゆがませる。
「ど、何処で知ったんだよ」
「それは秘守義務に関わるから教えられないわね」
 そう言いながら、ちら、と雪乃の方を見る華蓮。慌てて目をそらす雪乃。……暴露経路はバレバレだった。
 はぁ、とため息一つ。しばらくはこれをネタにからかわれるに違いない。
「ほらほら、そんなに落ち込まないの。とりあえずこちらにどうぞ」
 先頭に立った華蓮に、通りのよく見える窓際の席へ三人を案内される。開いてるときは決まって座る専用席だ。
「ええい、今日はやけ食いだ!」
 松葉杖をテーブルの脇に置き、席に着く。
「わかったわ。二九八〇円のスペシャルディナーセット三人前ね」
「すみません。逆さに振ってもそんな金は持っていません」
 テーブルに額をすりつけ懇願する。
「甲斐性が足らないわよ、秀晃君。こんな時は家財道具売り払って用意するくらいの気合いを見せて欲しいわ」
 恐ろしいことを平然と口にする華蓮。
「俺には明日も変わらぬ生活があるから無理だっ」
「残念。……で、結局何にする?」
 本当にものすごく残念そうだった。
「とりあえずいつもの……でいいよな? それを三つ」
 正面に座る女性勢の表情を見て、異論の無いのを確認する。
「はいはい、紅茶セット三人前ね。ケーキもいつものでいいのよね?」
「ああ、頼む」
 厳かに肯く。
「まあ、いろいろあったけど退院できたことは素直に喜んであげるから、ゆっくりしていってね」
 明るく笑いながら華麗にターンを決めてきびすを返し、華蓮はカウンターへと帰っていった。

 

  ◇◆◇◆◇◆◇

「しかし、何とか人手は足りてるみたいだな」
 華蓮が再びやってきて水を置いていった後、秀晃は人心地つきながらゆっくりと周囲を見回す。店内は相変わらず忙しそうではあったが、注文が溜まっているようなこともない。てきぱきとスタッフの手で仕事がこなされているのがよく分かる。
「なんでも、秀晃さんの代わりのアルバイターが見つかったから何とかこの夏を乗り切れる予定だそうですよ」
 にやにやしながらまきえがそう言った。
「へえ……じゃあゆっくり療養できるな」
 安堵のため息を吐く。もちろん安堵の意味は店の行く末ではなく、半病人でも菜種油のように搾り取れるだけ搾り取るマスターの魔の手から逃走出来そうだということにあるのだが。
「でも、下手したら治っても帰ってくる場所が無くなってたなんてことになったりして……って秀晃さん、その振りかぶった松葉杖は激しくわたしの心に動揺を引き起こすんですけどっ!?」
「単なるストレッチだ。気にするな、まきえ」
 厳かな動作で松葉杖を机の脇に戻す。
「ううっ、私はただ事実を客観的に言ってるだけなのに……って、だからそんなにっこり笑って松葉杖に手を掛けないでください秀晃さんっ!? あ、ちょっと水をもらいに行ってきますねっ」
 そのまま半分ほどになっていたコップをつかむと、脱兎のごとくその場を立ち去るまきえ。
「ちっ、逃げたか」
「もう、あんまり秀晃さんがまきちゃんを虐めるからですよ」
 雪乃が困った顔で秀晃を見る。
「いや、でもなあ、ついついやっちゃうというか」
「まきちゃんはああいう態度してますけど、秀晃さんが怪我をしたとき本当に心配してたんですから」
「といっても、このやり取りはもはや条件反射だしなあ」
「秀晃さん」
 むっ、と眉を寄せこちらを睨む雪乃。
「あ、いや、今後は善処します、はい。しかし、人魚の肉が真実だったなんて言ってはみても、結局は見つからなかった、なんてな」
 あわてて話題を変える。
「そううまくはいかないものですよ」
 寄せられた眉を元に戻し、雪乃が穏やかに答える。
「そりゃそうだけど、気にはなるけどな。先々代の院長のころまではあの病院に保管されていたっていうけど、本当なのかなあ?」
 考えを纏めるためにテーブルに片肘をついて、頭の中で状況を整理する。
「そうですね。……じゃあちょっとした昔話をしましょうか」
「昔話?」
 顔を上げ、雪乃の顔を見る。
 瞳の奥、ここではない遙か遠くを見るように、雪乃が目を閉じた。
「むかしむかし、一人の女の子がいました。彼女には、お父さんと、お母さんと、お姉ちゃんの4人家族が居て、みんなで仲良く暮らしていました」
 一泊の間が開く。そして、静かに、淡々とした声で雪乃は話を続ける。
「ところがある時、その家族に不幸な事故が起こりました。少女の家族は事故によってみんな亡くなり、彼女自身もまた、死ぬか生きるかの重傷を負ってしまったのです。
 当時の院長先生は自分の友人の娘であった少女のことを不憫に思い、悩み抜いた末、明日をもしれない命の彼女に訊ねたのです。『君は生きたいと思うかい?』と」
 そして、雪乃は小さく笑った。
「……あの、その少女って、まさか、その」
「さて、昔話はおしまいです」
 何か言おうとする秀晃を押しとどめ、雪乃が立ち上がる。
「もうお仕事の時間ですから。秀晃さんの代わりにがんばってきます。まきちゃんにはちゃんと謝っておいて下さいね」
「って、俺の代役って雪乃なのか!? 初耳だぞ!」
 慌てる秀晃。それを横目ににこりと笑うと、佐倉雪乃は軽やかな足取りでパルティータのスタッフ室に入っていったのだった。


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