§    §

「……暑い」
 俺は消え入りそうな声で不満の意を漏らした。
「ね、来てよかったでしょ?」
 俺の台詞を聞いていなかったのか、相変わらずのほほんとした顔で希望が言った。
「あのな、希望。暑いって言っったんだぞ、俺は」
 怒気をはらませ隣に立っている呑気者をにらむ。
「あれ? 舞人君、夏の日差しが浴びたかったんじゃないの?」
 心底不思議そうに希望が訊ねてくる。
「いや……そう、俺は夏の日差しが大好きなんだ」
 さっき適当な台詞を言った自分を恨む。が、もはや後の祭りでしかない。
 俺は海岸で使うような携帯パラソルを立てたキャンピングセットに腰掛けため息を吐いた。見上げた空にはぷかぷかとした白い雲が空中を風に乗って浮遊している。
 回りにあるのは、白い壁と裏路地を流れるドブ河。乱雑に積み上げられた段ボールとポリバケツの群。そして時折熱にまみれたビル風が吹いてくる。
 希望の用意した席とは、つまり、店の路地裏に広げられた枠外席なのだった。
「舞人君が来る前に、いきなりお客さんが増えちゃって……。ほんとびっくりしちゃったんだよ」
 そう言ってにこにことしたままの希望を横目に、俺はがおんがおんと騒音を立てる業務用クーラーの本体を睨み付ける。廃熱効果により、当たりかまわず店内の熱を外に放出しているため、外にいる俺にとっては全くの悪意にしか感じられない。
 幸か不幸か、正午じゃないから真上から太陽で炙られることこそ無いが、だからといって過ごしやすい環境であるはずもない。
「あ、そうそう。注文だったんだよね。忘れてた」
 のほほんと希望は言った。
「……ほんと呑気だな、お前」
「あー、ひっどーい。私そんな呑気者じゃないよ」
 柳眉を寄せて怒る希望。
「前にも言ったでしょ。私は呑気なんじゃなくて、おっとりしてるだけだって」
 お前の頭の中の辞書はおかしい、と思ったがとりあえず口するのはやめた。
「では、今日は何を注文なさいますか? お客様」
 伝票をポケットから取り出しながら、あらためて業務用スマイルで俺に訊ねる希望。
「あー、そうだな……」
 壁に掛かったメニュー一通り眺めやり、答える。
「じゃあ、この、ウルトラデラックスセットってのを三つ。希望の奢りで」
「それはだめ」
 即決で返答が返ってくる。
「ちょっと待て! お前、今日なんて言ってメール送ってきやがったと思ってるんだ。『奢る』って書いてるだろうがっ!」
 携帯を取り出し着信記録を突きつける。
「どこに奢るって書いてるの?」
 憮然とした顔でそう宣う希望嬢。
「なんだと、貴様。ここにしっかりとサービスしますと書いてるではないかっ!」
「……サービスでしょ」
 希望から冷たい視線を向けられる。
「舞人君の早とちり者」
「そ、そんなこと言ったって、普通の人はサービスなんて言われたらふつうは奢りとか奢りとか奢りとかを思い浮かべるだろうが」
「そんなのは舞人君だけだよ」
 呆れた声で突っ込む希望。
「じゃ、じゃあ、希望……の奢りで食えそうな物は何だ?」
「だから、奢りは無しだって。そんな毎回毎回おごれるわけないでしょ」
 そう、冷酷に答える希望さんだった。
「なんだか俺がいつもたかりに来てる駄目人間みたいに聞こえるな、そんな風に言われると」
「えー、そうだっけ?」
 おかしいなー、という表情を浮かべる希望嬢。
「俺は今まで二回しかここに来てないだろうが」
「そうだっけ?」
 そう言って希望は考え込んだ。
「そうだって。その内、お前が奢ったのはたったの一回だけだ」
「ということは、確率から言ったら五〇パーセントだよ。やっぱり半分も奢ってるじゃない」
 口を尖らして反論してくる。
「……まあいい。何か釈然としないものを感じるがここは優しい舞人様が折れてやることにしよう。感謝するように」
「むー。なんだか横暴」
 どっちが横暴だ。
「あー、じゃあ……何か冷たい食い物持ってきてくれ。一般的高校生が頼めそうな予算範囲で」
 結局、妥協的意見を口にすることになった。
「はい。わかりました」
 希望はにっこりと営業スマイルを浮かべて身を翻すと、お盆片手に店の中へとむかった。
「サービス分は忘れるなよー」
 店中に消えていく女の背中に一声かける。
 背中越しにお盆を振って了解の意を返す希望。
 その姿を見て、俺は再び空を見上げた。
「しかし……暑い」
 額から、汗が流れた。

 それから一分と待たせずに、希望が戻ってきた。
「はい。『アイスクリームぜんざい』お待たせしました」
 どんと音を立てて、目の前に白(アイス)と黒(ぜんざい)のハーモニーな謎の物体が出現した。ブツのトップにはちょこんとサクランボが鎮座している。
「おおう、まさにこのような灼熱地獄に仏とはこのこと。サンキューベリーマッチ・ディアNOZOMI!」
「そんなに喜ばなくて良いよ。それに、これは一番手間かからないし」
 呑気に笑う希望嬢。素直に笑うべき所なのか、ここは。
「……ところで、これのどの辺がサービスなんだ? 俺の知る限り、こいつの大きさといい見た目といいメニューにのってる写真と別段変わらないような気がするんだが?」
 一通り喜んだ後、開いたままにしてあったメニューのサンプル図と実品とを比べつつ指摘する。
「そんなことないよ。ほら、この上に乗ってるサクランボの数が倍になってるでしょ?」
「一個が二個になっただけじゃんっ!」
 思わずつっこむ。
「当社比二〇〇パーセントでしょ」
 いや、それ数字のマジック。
「その、本当はもう少しサービスして上げたいんだけど、お店の方が……」
 そう言って両手を合わせる希望。たしかに、異常な繁盛を迎えたこの店にとってわざわざ一人の客に対して掛かりきりになるわけには行かないんだろう。
「わかった。じゃあ、今回は不慮の事故ということにしておいてやる」
 俺は鷹揚に頷いた。
「ありがとう」
 俺の言葉に希望は嬉しそうに笑った。
「その代わりなにかで埋め合わせをしてくれ」
 そんな彼女に対してすかさず切り返す俺。
「それはなんだか違うと思うんだけど」
「気のせいだ」
 希望の反論をそう言って封じる。
「……わかりました。じゃあ、今度何処かに連れて行ってあげるから、それで許してよ」
 そう言って、希望は再び両手を合わせた。
「そう言うことなら仕方ない。今日はおとなしくお客をやっていてやる」
「本当にごめんねー」
 申し訳なさそうに謝る希望。思わず苦笑いを浮かべてしまう。そんな顔して言われたら怒るに怒れないからな。
「あ、ごめん。ちょっと行って来るね」
 店内から希望を呼ぶ声が聞こえた。希望は慌てて厨房を越え、そのままレジの方へ向かった。
「……なんだかんだ言いながら、よく働いてるんだな」
 なんとなく感心しながら、バイト作業にいそしむ希望の様子を厨房の窓から眺める。
 まあ、こんな姿見せられたら、今日ぐらいはこの店の売り上げに貢献しても良いか、と言う気持ちになるから不思議だ。……希望とのデートもついてきたことだし。
「……って、ちょっと待て。『何処かに連れていく』って本来俺の台詞だろ」
 普通は男が言う台詞じゃないか。よく考えてみれば連れて行かれて喜ぶのは普通希望の方だろう。
「つまり、体よくデートコースの主導権を与えたことになるってことか?」
 しばし考え込む。
「いかんいかんいかん! このままでは高級レストランに連れて行かれたあげく、山ほど俺の金で飲み食いされ、最後には金が払えず皿洗いなどという事態になりかねん!?」
 さらっと流してしまった言葉の意味の重さに嘆息する。
「おい、希望!」
 希望の方をにらんだ。目が合う。
 俺を暗雲たる思いに突き落とした女は嬉しそうに笑うと小さく手を振ってきた。
 その様子に、拍子抜けてしまった。
「……なんだよ、畜生」
 妙に罪悪感を覚えてしまい顔をそらす。
「いいか。俺は高級レストランなんか行かないからな? それだけは覚えとけ」
 絶対に聞こえないであろう場所で仕事に勤しんでいる彼女に対し、ぼそりと呟いた。
 目の端で希望がくすくす笑っている姿がちらりと映る。なんだか悔しくて、俺は目の前のアイスクリームぜんざいに挑みかかった。
 すっかり融けてしまっていたアイスクリームぜんざいは、あっという間に腹の中へと消えた。
 不謹慎なことに、唯一の女性店員はそんなお客様の様子を見て、遠目から声を立てずに笑っていた。

 その後、希望がバイトが終わったあとで、何をするでもなくぶらぶらと商店街を一緒に歩いた。
 結局、それだけで今日は終わった。
 ま、こんな休日も、たまにはいいんじゃないだろうか、と思った。


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